続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

木山捷平『茶の木・去年今年』短編小説の極北

      昔懐かしい旺文社文庫の木山捷平の『茶の木・去年今年』である。
      こんな本があるというのが旺文社文庫の面目であった。時代が経つ
      にしたがって名著の宝庫になる。



『旺文社文庫』の古書値段が高騰していて困ってしまう。当時は名著を安価の値段で普及せるという眼目であった。高邁な理念が生きていた時代だった。安い値段で名著を学生に普及させる。学生が本を読まなくなって早々旺文社文庫は廃絶した。


学生が本を読まなくなってブックオフが誕生した。ちょっと低次元の読者が、横溝正史を春陽堂文庫で読んでいた。本当に読書の娯楽だった。映画を見てから本を読め、と横溝正史を映画にして本を売ったのが、角川書店だった。駄さい春陽堂文庫を斬新なカラー・カバーに変えて売り出した。


もう現役を引退し全著作を刊行し終わった横溝正史だったが、新たな装丁で刊行された。社長を先生と呼び、国文学関係で生計を立てていた角川書店であった。現役の有名小説家は相手にしてくれない三流出版社だった。角川春樹は売れなければ本でない、という理念で出版業を始めた。映画をヒットさせてから本を売り出す。


角川商法が大成功して、すっかり本が売れなくなった。ブックオフは万引きを換金してくれる所、角川書店は本を映画で視覚化してくれる所でしかなかった。幻冬舎は本の形態をしているが、幻冬舎の本はイメージの残骸なのだろう。狩猟した鹿の頭のはく製であって、昔の本ではないのだろう。


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戦後焼け跡派の一員である木山捷平は、釘の活用・再利用を考える人だった。木片から抜いた釘はまとめて再利用する。まとめて古物屋に売る。今以上に再生可能エネルギーを実践していた。そこへ友人の画家が死亡したニュースが入り、葬儀に参列することになった。


木山捷平は火葬場まで行って友人が火葬される一部始終まで体験するのだった。最後に棺桶に遺品を収め板は釘で打たれる。短編「釘」はどうもそこまで詳細に語られる所に意図があったらしい。


「お骨上げは二階になっております」と従業員が告知する。参列者が参加する。
「二階はどこから上がるの」
「そこの右側の階段をあがってください。お骨はエレベーターであがりますから」
 と従業員は答えた。
 次の瞬間、従業員は手押し車に手をかけて、正介(木山捷平)の顔をちらりと疑視した。ちらりとではあるが、眼の色が鋭かった。明らかに敵を意識しているかのような眼付だった。思わず正介が眼をそらすと、従業員も眼をそらしたが、しばらく経つともう一度、前よりもっと鋭い眼付で正介を疑視した。


木山捷平はここまで鋭い視線を書く作家であった。木山捷平は田舎生まれの作家である。田舎の火葬では担当者は被葬者を焼いた後の遺品の役得の風習がある。そういう両者の相互不信の心理にまで筆が及ぶのだった。


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話は変わるが、解説者の奥野健男は余計な話だが、木山捷平の息子が当時慶応大学の学生であることに言及している。庶民派の私小説家としては行かせる大学がちょっと違うのではないかという了見があったらしい。この息子は東京ガスの社長までなる。


同様の短編作家小山清(1911-1965)がいて、まさに旺文社文庫に『落穂拾い・雪の宿』が入っていて、べらぼうな古書値段に高騰してる。この人の妻は生活の困窮からノイローゼになり1962年に自殺している。都営住宅に住み、生活保護をもらって創作活動をしていた。この人の息子が小山穂太郎で、後に東京芸術大学教授になる。油絵画家の正攻法の成功者になる。


池田満寿夫(1934-1997)は長野の高校を卒業すると、東京に出て東京芸術大学を受験するが二度も受からない。芸大の受験生はデッサンの予備校に入り練習する。そういうことも知らなかったのではないか。東京の人である小山穂太郎は、高校生の頃から芸大受験には予備校でデッサンを習うことは知っていて、夜間の予備校に通って受験に備えていたのではないか。息子には思い通りにして欲しいと願っていた母は、生活保護を受けながらも苦しい生活から学費を出す苦しさがあったようだ。一方は美大受験にデッサンがあるのも知らず、他方には余計な費用がからるという苦しさがある。


木山捷平の件では、岡山の片田舎から出て来て、東京の大学を受けると、とても東洋大学の水準で慶応大学に及ばない学力の差があった。この悔しさが木山捷平をして息子は慶応大学に入学させたい了見になった。奥野健男には理解に苦しむ点だったのだろう。あの庶民派がなんで大学のブランドを選ぶの、と悲嘆する。


木山捷平の息子が東京ガス社長、小山清の息子小山穂太郎が東京芸術大学教授となった。親子に雲泥の差がある。