続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

猿之助の後悔、後悔先立たずの事例

本日は文化勲章の発表で野村万作や塩野七生の受賞で慶賀に耐えない。十年後には市川猿之助がここに立っていたとすると、暗澹たる思いがする。


猿之助の裁判は今は執行猶予が付くかどうか、に関心が移った。本人としては刑務所に行かないことを願うばかりだ。しかし遠い将来を考えると、刑務所に行って当然の罰をうけたほうが、重荷にならないこともある。むしろ執行猶予で刑務所に行かなかっとことで、両親に手を掛けて殺したことに苦しむことだってある。ドストエフスキーの罪と罰の世界である。


人間は当然の罰を受けて、それで罪から解放されることだってある。下手に罰を免れて罪深かさを味わうのが人間だ。


さて、市川猿之助だが、先代猿之助の弟段四郎家に生まれ、近代的な家風の中にサラリーマン俳優を是として育った。それが許されたのも脇役の故だった。こんな家で突然ドロドロとした伝統の世界に属すことによって、変調をきたした。一大事業が、名優に精進することもさりながら、チケットを売りさばくことでもあった。歌舞伎筋の人によれば、今や歌舞伎座でチケットが売れるのは市川団十郎と市川猿之助の二人しかないという。


市川団十郎はテレビでも有名な飯田建設の社長が谷街になっている。この家も因果だな。実父の妻も有名な建設会社熊谷観光の社長で、40億で倒産して負債を婿の団十郎が払ったという。本当は妻の家を喰うのが役者稼業だったが、逆に歌舞伎役者が喰われてしまった。母は海老蔵の家の女中で堅気の人だった。花柳界に育った人でないので粋な生き方が出来なかった。堅気の世界では立派と言われるが、花柳界では馬鹿と言われた。慰謝料をどれだけ取るのが花柳界の女の品格。旦那の家の借金を歌舞伎役者が払う馬鹿がいるかと笑われた。色白でいい男の祖父海老蔵は色黒のど素人の息子を嫌っていた。生真面目に芸道に精進した息子は、本来短気でどうしようもない放蕩息子に手取足取して芸道を教えた結果、思いのほか芸道を心得た息子に育ったのが今の団十郎だった。信心厚く徳を積んだ真面目おやじで、祖父に似て美顔に育った現団十郎は、そういうわけで実父の教えがいあって芸も意外に心得たのだった。生意気は祖父の血で、芸の裏付けは実父の血だった。


円地文子は「海老さま」世代で熱狂したのだが、要するにその本質はイケメンだけの軽薄なものだった。戦後の歌舞伎は「海老さま」人気で興隆した。だがイケメン海老蔵には芸がなかった。芸といえば菊五郎に至るのだろう。しかし歌舞伎を牽引したのは海老蔵人気だった。


そういう意味では今の団十郎は地上最強の色男と芸を兼ね備えていることになる。


ところで、現猿之助には団十郎にいる谷街がいなかった。近代的で合理的な猿之助は「いい芝居」だけをすればいいと考えた。これが考え違いではなかったか。先代猿之助には藤間紫という谷街がいた。欠くべからざる名プロデューサーがいた。藤間紫は谷街にして名プロデューサーであった。


現猿之助はこの2つの欠くべかざざるものを欠いていたのだ。満身創痍の猿之助は、若手俳優が好みだったのに、何故か同じ組合の市川右近が嫌いだった。先代の愛弟子というのが気に入らなかったのかな。武智鉄二のような資産家で歌舞伎愛好家のようなパトロンを作らなかったことが裏目に出た。それがジャニー喜多川のような人だったのかな。それこそスーパー歌舞伎に相応しい人物だったはずだ。市川猿之助・スーパー歌舞伎・ジャニー喜多川の線が結べなかったのが、悲劇だった。歌舞伎役者なのに、伝統の男色を毛嫌いして欧米流のゲイを愛好した。その結果微妙に異なるもの(和と欧米)を統合することに失敗したようだ。