続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

林芙美子と森達也監督『福田村事件』

明治大正に一世風靡した『オイチニの薬屋』の陶器人形。軍服姿でアコーデオンを弾く薬屋と少女はワンセットの風物でした。義父沢井喜三郎と少女林芙美子はこうして薬売りの行商をしていました。まさに林芙美子人形ですね。


映画『福田村事件』を見た時、行商の集団に子供が加わっているのが不思議であった。事件簿には被害者が報告されていて、中に子供が含まれている。史実に忠実ということで再現したわけだが、その意味が分かっていなかったようだ。何で行商に子連れかは、この人形を見て氷解した。一体、コンビなのだ。大正時代の映画で薬の行商を描くのなら、軍服姿と少年のコンビを再現して欲しかった。これでオイチニの薬屋になる。時代考証に失敗した映画が時代を反映した特異な虐殺事件の思想を汲み取ることが出来たのか疑問である。この映画はイデオロギーが先に立ち、それを表現するための小敏さが鼻についた。功績は朝鮮人虐殺特権を日本人も虐殺されてますと、水で薄めてくれた功績です。心痛みました。


林芙美子は『風琴と魚の町』で義父がオイチニの薬屋をしていたことを書いている。しかし林芙美子は自分がこのような少女として売り歩いたことは書かなかった。


小さな体の芙美子さんが、薬をもってちょこちょことあつまった人々にすすめて歩く。
これは土地の人からきいた話で、小説には出て来ない。いかにも可憐な話だが、芙美子さんはこのことはかきたくなかったらしい。子供のとき行商に行った話もかいていたし、もっと思い切ったことをあけすけにかいているのに、人おのおの、知られたくないことがちがっているということを考えさせる。
 女学校に入ってからは、その手助けはしなかったが、オイチニの薬の娘を覚えていた人はたくさんあった。学校に入ったら同級にこの娘がいたのでびっくりした、と語っている人もいる。(平林たい子『林芙美子』)


薬屋に少女は、少年でもあった。人形は林芙美子を表現し、映画は少年を表現した。子連れが哀愁をそそり、売上効果を出すのだ。さすがに娘になっては用無しになった。芝居に動物と子供が出ると役者は食われるという効果です。


森達也の映画『福田村事件』では語られなかった、薬行商の集団に子が同伴する理由が判明する。この人形が物語り、平林たい子の記録が物語っている。この映画の欠点はオイチニの薬屋の風情を出さなかったことだ。大正の味をだす時代考証に失敗した。


あるいはオイチニの軍隊服の薬売りの稼業を終えて、作業服を私服に替えた後の、悲劇だったとも考えられる。田宮虎彦の『足摺岬』は自殺未遂の青年が薬売り屋の売り物の薬で助けられる話である。(そうすると木賃宿で、普通の旅館の設定にしている田宮虎彦は重大な過失を犯している。)元気になった青年は今度は自分が人助けをする(この宿の娘を妻としたが、その弟が特攻隊の生き残りで自殺願望になり、それを救済する。)決心するところで終わる。底辺で生きる薬屋の無私の行為が自殺未遂の青年に改心を与えるという感動作。親から勉強して立身出世しろと強制されていて成果が出ないで遂に自殺するのである。他人に薬を与えて看病する薬屋を見て、無私で善業をする姿に感動し、そうして生きる決心をする。立身出世より社会奉仕、戦前日本が忘れていた項目だった。


田宮虎彦は東大生の主人公を木賃宿の娘を妻にし、その弟が特攻隊員という設定は、当時エリート学生でなければなれない特攻隊員(曲がりなりにも飛行機を操縦する高度な技術者)という設定が安易だった。こんな優秀な学生を犬死にする政策に無謀さと愚策を、今更ながら憤激します。10年教育して3分で死なせ、効果なし。戦後特攻隊員が荒れるわけです。だからといって小説が荒れてはいけません。


余話だが、大林宣彦監督『淀川長治物語』で、神戸の裕福な家庭の朝食でトーストを食べるシーン、食パンが四面が焼けた今スーパーで売っている食パンを食べている。これはアメリカ風の食パンで、戦後主流になった。戦前の日本の食パンはイギリス風の食パンであったはずだ。頭が固くて食べにくかった。


イギリス風の食パンとは、三面が焼かれて容器にフタがされないで焼かれるので、コック帽子のように頭がパーマがかかったように盛り上がっている。大林宣彦も少年時代まではイギリス風の食パンを食べていたはずだ。生まれた時からアメリカ風の食パンを食べている若手は、戦前の家庭もそう思った。うっかりミスです。