続パスカルの葦笛のブログ

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近衛版ベートーベン3番秋山和慶指揮大阪センチュリー交響楽団(1)

おしなべて近衛版編曲は立派で、ダイナミクスもアゴギークも大胆で、通常の秋山和慶の演奏では聞けないものがある。つまり使用すると通常をバージョン・アップすることになる。


近衛版『運命』が問題有りか。


その上で、今回は数少ない欠点だけをあげつらおう。というのも、9曲編曲しょうと思いつくのは相当変わっている人だ。変わり者、偏屈、へそ曲がり。そういう人だけが全う出来る仕事だ。イーロン・マスクのグループの人だ。芸術家はそれでいい。多分兄さんも近衛文麿もそういう人で、こんな人が政治の舵を握ったのが悲劇なのだろう。ベルリン・フィルを阿波踊りで指揮しているフィルムが残っている。


さて、第一楽章、55-56小節でテンパニを加筆するのだが、72小節まで、完全に蛇足の加筆をしている。
Bの前の64小節でテインパニに8分音符、68-69小節、70-71小節、72小節では管楽器のパートを打たせているが、近衛の個人的趣味の反映だろう。とても改善・改良には思えない。


しかし93-94小節の管楽器に対する大きなリタルランドは素晴らしい演奏だ。
素の秋山和慶では絶対やらない大胆なリタルランド(テンポを落とす)で、近衛の編曲に従った演奏なのだろう。


日本では指揮者は解釈は御法度とされている。結構プロの指揮者が近衛版ベートーベンを使用するのは、近衛が大胆に解釈しているのを、近衛版楽譜を忠実に再現しているわけで、自分が勝手に解釈していないと言い訳出来るからではないか。そう言いつつ近衛の解釈を楽しんでいるわけだ。またアゴギークの勉強にもなっている。


125小節のテインパニで、楽譜は空白だが、近衛版は3拍目の4分音符を加筆している。


219-220小節の第1バイオリンをテインパニで打たせている。


276-279小節はテンパニは空白だが、近衛は金管のパートを打たせている。ここも疑問点で、金管だけでいいのではないか。


最大の疑問点は次の280-281小節だった。
280小節からは弦楽器だけの演奏になっている。それなのに近衛版は3つ4分音符にテインパニで加重させているが、これは全く賛成出来ない。テインパニで何故強調させる意味があるのか大疑問である。近衛秀麿の変人・へそ曲がりの真骨頂が現れている。このままでいいのである。


526,529小節のテインパニの空白を埋めるのも疑問である。それも管楽器は4分音符2つなのに、後半の4分音符1つの加筆なのが理解に苦しむ所である。一層4分音符2つ加筆ではないか。近衛秀麿の面白い所だ。変わった人だ。


変わった人だからかような偉業が出来る人でもある。それ以外は大いに評価である。