続パスカルの葦笛のブログ

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バーメルト指揮札幌交響楽団のシューベルト8番第2楽章

第2楽章は名演だった。対位法の演奏法を駆使して、通常は沈んだ声部を浮上させて驚くべき魅力的な演奏をして見せた。


際立った2つの対立した旋律を同時に聞くことは煩わしいはずだが、名指揮者の資格はどれを主旋律に決定し、無慈悲な副旋律として決めて沈んでもらうことだ。基本的には指揮者の仕事は交通整理をする警官の手の動きで、百台の車の動きを制御することにある。ストコフスキーと交通警官が白い手袋でジェスチャーをする所以はそこにあったのだろう。車の流れを勝手に任せてしまったら混乱するばかりだ。


でもバフチンは対位法とはごった煮のことで、ドストエフスキーの小説の対位法とは主人公も脇役も等価値に重要な役割を担っているのが素晴らしいのだという。小林秀雄では『罪と罰』の主人公はラスコリーニコフだが、清水正では『罪と罰』の主人公はマルメラードフだ、というのはバフチンの影響である。


Eテレの世界サブカルチャー史のキャッチフレーズは、混迷する現代に行き先を失った世界(メインカルチャー)はサブカルチャーに注目することで行き先が分かる。これも対位法だ。フランスではすっかり大人文化は人気を失い、アニメを見て大人にならないで子供文化で一生を過ごしたいと、大人が子供のようにゴスプレをして楽しみ始めた。副旋律が主旋律に取って替わった。


そういうことをバーメルトはこの第二楽章でやっているのだ。
そのことがよく分かるのが48-49小節の木管だ。

通常は上位のオーボエが旋律を演奏して終わる部分だが、バーメルトは48小節のオーボエの4分音符を演奏させていると、下位のクラリネットが等価値の音量で演奏させてわざと対立させている。


オーボエとクラリネットが対立して聞こえるわけである。2人主役がいるという解釈である。そういう処理が随所で聞こえる。


次の55小節でも同じである。

上位のオーボエと下位のファゴットが対立して聞こえるのである。どちらも主役ということで演奏している。


79-80小節では48-49小節の再現なのだが、再現では立場が逆になっていることに気づくのである。

演奏手が逆の立場になって旋律を演奏するようになっていて、シューベルトにはそういう心憎い配慮をしている。


シューベルトはウィーンでは最下層の市民で、なかなか差別に敏感な立場であったようで、普段は身分の上下に不満を持っていて、オーケストラの中で自分だけは楽器に特別扱いはしないといった人だったらしい。


バーメルトは意図的に対立させて演奏させているわけで、この競合が筆絶な美しい音色を生んでいる。別の言い方をいえば、メインカルチャーでもなくサブカルチャーでもない演奏となっている。


こういう演奏が第二楽章で演奏されるのである。