続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

オッペンハイマーと現代史

世紀の天才科学者オッペンハイマーとアメリカ共産党党首ランバートとは、6回会っている。ソビエト共産党からウラン鉱床についての情報を入手せよと命じられていた。オッペンハイマーの恋人ジーン・タトロックは知り合いだったので、面会してその情報を得たかった。


ひょんなことから驚くべき情報源を入手することになった。それはまったく偶然なことであった。原爆研究の張本人に、共産党党員の恋人がいて、容易に情報を入手することが出来た。


一般的には目標を定めてそれに接近するという手法が取られる。あまりにも有名な話は、橋本首相の中国語の美人通訳によってハニートラップが仕掛けられたという。


でもジーン・タトロックは専門の訓練された女性スパイではないらしい。そこに素人がスパイに仕立てられた悲劇があるようだ。とんだ大物と知り合って人生を台無しにされたらしい。いやイデオロギーに心酔して、身を犠牲にした人間もいた。レーニンを暗殺した女性闘士がいたという紹介もグーグルに出ていた。



余談だが、シューリヒトと岩城宏之の出会いということもあった。 
シューリヒト(1880-1967)と岩城宏之(1932-2006)の出会いについて、言及している人は意外に多いと感じた。その種本は『音楽の友』なのだが、その出会いが何年か正確な年が知りたくて調べて見だのだが、一人も『音楽の友』にたどり着けなかった。というわけで正確な年は分からなかった。


少ない蔵書だが利用価値が希薄になれば遠ざける如く、我が家の『音楽の友』も粗大ごみ寸前で、奥に集積されたバックナンバーを探すのも困難だ。どうかそれを読んで知識紹介されたしと願いながら検索する。確か岩城宏之はウィーン・フィルで『悲愴』を指揮して褒められたというが、1963年に指揮したのはベルリン・フィルだったり1977年に日本人初でウィーン・フィル定期演奏会を指揮したとか、あらぬ方向にいっていまうのだった。


ついに出会ったのが「カラヤニストのコンサート漫遊記」さんのブログだ。コンサートホールの岩城宏之の録音を紹介して、シューリヒトの録音と同じ時に出会ったという。1963年のことだった。岩城宏之はリストのハンガリー狂詩曲を録音し、その後の録音にシューリヒトが控えていた。オーケストラはウィーン・フィルとはいえ、この時は正式にはウィーン国立歌劇場管弦楽団だった。レコードの解説を引用されておられる。


この録音はレコード解説によればレコーディングは1963年4月末から5月にかけてウィーンの古いホテル内にある「バイヤーリッシャーホール」で行われたそうである。


シューリヒトと岩城宏之の出会いは1963年4ー5月だったのだ。相当古いことだ。4年後の1967年にはシューリヒトは亡くなっている。最晩年である。夫人に遺産を残したいとせっせとコンサートホール・レコードで録音をしていたのだ。この頃はコンサートホール指揮者と呼ばれて廉価盤に録音する指揮者は大手の一流レコード会社で活躍する指揮者の一ランク下の指揮者と見下されていた時代だった。ありていに言えばコンサートホールなどは本物のレコードではなかった。そんな所に録音する音楽家は本物の音楽家と見なされなかった。東洋人の若手指揮者岩城宏之と老巨匠シューリヒトとは同格だったのだ。いかにシューリヒトが軽視されていたかが分かる。


ブルックナー7番は64年9月の録音、ブルックナー8番はなんと63年5月から7ケ月後の12月の演奏であった。この1・2年はシューリヒトの絶頂期だといえた。コンサートホール盤は一体国内盤は何年に発売されたことやら。(それだけにコンサートホール盤の7番に感動した人が少なからずいたわけである。)


シューリヒトは1967年に亡くなるのだが、没後10年コンサートホール指揮者として卑下されていたといえる。コンサートホールに録音された演奏と交代に、ベルリン・フィルやウィーン・フィルでの演奏録音がCDで紹介されると、にわかに巨匠指揮者の評価に代わるのだった。面白いのは卑下された廉価盤のコンサートホールの演奏も高く評価され始めた。


結構膨大な数の録音で、未亡人になった時の妻への遺産にしたわけだ。だいぶ耳も悪くなっていて、同席した老婦人が「その辺でいいんじゃないの」と助言していたと岩城宏之が書いていた。「そうか」といって先に進むシューリヒトだった。すると結構どぎついアクセントや解釈は、個性なのか耳が悪い難聴の結果か、不安を掻き立てさせた。


シューリヒトの自費出版レコードも今では現役盤で復活していて、録音年代も明らかになっている。『エロイカ』は1937年、ブラ1番は1938年、R・シュトラウス『家庭交響曲』は1940か41年。


面白い所では『ブラームスの風景』で、交響曲1番はシューリヒト指揮スイス・ロマンド管弦楽団(1953・12・28)で全曲録音されている。定期演奏会の実況中継らしい。シューリヒトの個性は微塵も無く音質も悪いが、まだ只の人だったのであろう。