続パスカルの葦笛のブログ

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オッペンハイマー、本で読むべし・映画で見るべし

                起


映画『オッペンハイマー』が今月公開されることになった。昨年アメリカで大ヒットしたが、内容が硬いというので日本では見送りとなった。それが撤回された。


オッペンハイマーといえば、日本では本を通してしか知らないわけだが、映画では大いに相違しているらしい。原爆を開発した科学者だが、大いに反省して水爆には反対した。科学者の良心を見せた反戦平和の旗手というのが売りであった。


映画『オッペンハイマー』はメインストリーは踏襲したが、一味も二味も違う味を強調した。北ではミサイルに成功した科学者を将軍様がおんぶして喜んだが、科学者には所詮権力に奉仕する輩、頭は良いがそれだけの人ではないか。それを描きたい。むしろ健全な大衆一般は危険な作業に手を貸さないだけ、手が汚れていない。その観点から、特殊技能を持った者を侮蔑しあざ笑ったのが、映画大ヒットの要因だった。


原作は『アメリカン・プロメテウス』で、神々が所有していた火(知恵)を盗んで人間にもたらしたプロメテウス神話にあやかった名前である 。オッペンハイマーは人間に災いをもたらした人間であると解釈した。人間は考える葦で、植物の葦より優れているとしたのがパスカルだった。映画はよほど植物の葦だけであった方が植物(人間)には幸福だったとしている。反知性が満載の映画だった。


                 承


映画評論家町山智浩は、最初『オッペンハイマー』を見た時に何が何だか意味不明だった。


実は映画はオッペンハイマーの脳みそを描いていることに気がついた。彼の頭の中は映画の映像のように支離滅裂で錯綜した記号で出来ていた。それを言い換えれば数式でもある。(物理学者の数式を映像で言い換えたのが映画『オッペンハイマー』だという町山智浩の指摘は優れている。)


あんな変てこりんな人間が考えた世界が原爆であり水爆でありミサイルだった。


俺達はあんな狂った人間じゃないんだぞ。そう考えた大衆一般が映画『オッペンハイマー』を見て、オッペンハイマーを嘲笑してアメリカで大ヒットしたのだ。大衆のエリート憎悪が大ヒットした原因だった。大衆の反逆だった。


映画『ガリレオ』で天才物理学者の湯川学が難解なミステリー事件を、突然数式を書き始めて解決してしまう。見ている観客には何が何だか理解不能だが、未だ学者を尊敬している日本人は、心底湯川学の推理を尊敬してしまう。


オッペンハイマーや湯川学の数式を見て、軽蔑するアメリカ人と尊敬する日本人がいる。


アメリカでは古くから家で読書したり勉強するインドアの人間はゲイになるという神話があり、アウトドアでスポーツをするマッチョが尊敬された。マッチョの典型であったカウボーイにもゲイがいるという映画は古くから信じられていた神話を決定的に粉砕したと『世界サブカルチャー史』は解説する。しかし『オッペンハイマー』はそれへの反撃であった。今年のアメリカ大統領選挙を占っている。草の根の保守岩盤からの東部への反撃であった。


               転


『ウィキペディア』日本語版はオッペンハイマーの恋人ジーン・タトロックは不記載だが、英語版には記載があり、この人物には陰謀論があると長い記載がある。


アメリカが原爆を開発し、ソビエトが数年後には追いつく。西側のあらゆる情報はスパイされ、パクられてしまう。ソビエトという人工国家は本来は帝政ロシア時代の農奴のいる農業国がリアルなのだが、スパイ情報でロシア革命以降は近代国家に偽装された。ついには東西冷戦時代で米ソ巨大国家が世界を二分したといわれるが、本質はアメリカのキッチュ(贋物)だった。


ソビエトの原爆開発も、アメリカのマンハッタン計画のキッチュだった。『オッペンハイマー』はそこが描かれない。マンハッタン計画のチーフだったオッペンハイマーが原爆情報をスパイに手渡して、それでソビエトに筒抜けだった。それで後日オッペンハイマーはソビエトのスパイじゃないかと疑われた。ミステリーでいうところの犯人しか知りえない情報の暴露である。オッペンハイマーから離れ俯瞰すると、マンハッタン計画がソビエトに盗まれた事実は確定している。


そこにいるのが恋人ジーン・タトロックであった。彼女は正式のアメリカ共産党員であった。オッペンハイマーはソビエトのスパイのハニートラップにあったことになるのだ。知らず知らずのうちに、オッペンハイマーは原爆情報をタトロックに手渡していたのだった。


1936年スペイン内乱が勃発した。共和国政府にフランコの反乱軍が攻撃を掛けて、内乱状態になった。すると世界各地で共和国政府支援の運動が起き、タトロックも支援団体を立ち上げて、市民運動となった。サンフランシスコ市民の会の支部長として啓発活動をおこなった。その集会にオッペンハイマーが参加したのだった。市民運動に活発に参加するタトロックの姿は、颯爽とした姿であり、単に女好きのオッペンハイマーにとっては気に入った女でしかなかったのかも知れない。


レスビアンであったタトロックは、男との交際の意欲はなかったが、スペイン内乱で共和国政府を支援する市民を増やす野心はあった。思惑が異なっていたが、二人の交際はより綿密になっていった。カルフォルニア大学の助教授で理論物理学者であった。五か国語を話し、サンスクリット語まで理解していた。プルーストの大長編小説『失われた時を求めて』をフランス語で読んだ。マルクスの『資本論』をドイツ語で3日で読破した。ドイツ留学をしていたという。身だしなみもよく上品であった。会話も教養深かった。


タトロックは今付き合っているボーイフレンドを自慢し、周囲に吹聴した。スペイン内乱支援支部でも吹聴すると、会長の耳に届いた。会長はトマス・アディスというスタンフォード大学の教授で、1935年にソビエトを訪問した赤化教授であった。ソビエトの医療制度はアメリカより良く取り入れなければならないと説いていた。アメリカ共産党はウラン鉱床の情報の入手を命じられていたので、何度もタトロックの口利きでオッペンハイマーを食事に招待して質問したりした。タトロックは「凄い奴を知っているな」ということで、スパイ要員にされた。党から親密になれと命じられ、彼からも肉体的な親密さを求められた。


この頃がタトロックには一番辛かった。遂に嫌々ながらオッペンハイマーと肉体関係に落ち、原爆情報が容易に入手した。最初の核実験の成功は、彼女の好きなジョン・ダンの詩集の一節を引用して「トリニティ実験」と命名して彼女に捧げた。何でも原爆情報は入手出来たが、異性愛は苦痛にのしかかってきた。フロイトの弟子ベルンフェルトに同性愛を告白すると、克服すべき課題だといわれて奈落に落ちた。多様性で好きな方を選べと言って欲しかったが、反対で古いモラルの人であった。


折しも、未だ不明な点があって、党はオッペンハイマーに聴き出せと命じた。これが突然のオッペンハイマーの呼び出しであった。これに応じて訪問して二人の質疑応答があった。原爆の秘密は全て解明されて、タトロットは用済みになった。陰謀論は用済みになったスパイは処分されたと主張し、レスビアンを解決出来ないで清算したのだとダブロイドはいう。


突然父親の家に電話が掛ってきた。「FBI長官のフーバーです」「なんの用です」「娘さんが自殺されました。スパイ容疑で捜査していたんですがね。部屋に行ってスパイ容疑になる資料を処分するように。名門の面子はお守りするのが私のお勤めなんです」「何故自殺前に助けてくれないんですか」「FBIは寄り添っても、参加してはいけません」そういうと電話が切れた。父親は娘の部屋に駆け付けて、書類を燃やしてから、警察に電話した。


                 結


『映像の世紀バタフライエフェクト』は、オッペンハイマーが日本学術会議の招待で来日したが、広島には行かなかったという。町山智浩は広島の原爆の被害を目撃して一層水爆禁止に思いをはせたというが、それはなかった。


監督ノーランは、彼が核分裂の実験をしている最中に地球上の水素と連鎖反応を起こして核分裂して地球が爆発するのではないかと考えていたが、それでも核分裂の実験をしたい衝動に駆られたのかどうかを知りたくて、映画を作ったと言う。


ノーランの結論は科学者魂は世界平和より真理探究の『子供の無邪気な衝動』に動かされた。オッペンハイマーはそういう一般人以下の魂の人だった。まさに子供の火遊びだった。


知性派の西部邁は子供時代に火遊びで家一軒焼失した経験があった。そこに人間のプロメテウス神話があるのだろう。遠い古代のギリシャ神話ではなく、一個の人間の発達史の中に、家を焼いても火遊びをするという知性の目覚めを確認する行為がはめ込められている。火遊びは知性の最初なのだ。凡人は大人のタブー(禁止令)を破らない。知性豊なるが故に禁止令より知性の虜になるのだ。映画『オッペンハイマー』は保守からリベラルの知性至上主義の愚かさを嘲笑する映画になっている。


つまりアメリカ人大衆は科学者というクレイジーな連中の頭は一般人より、よほど劣化した頭であると結論ずける。ノーランの映画を見て大ヒットした理由は、アメリカ人がいかに知性を憎んでいるかということだった。