続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

小沢征爾指揮SKOのブルックナー7番2003年

世界的な水準でブルックナー7番の指揮をする小沢征爾(1935-2024)である。昨日のNHKテレビの『アナザーストーリー小沢征爾』はゆるい番組だった。アナザーストーリーなら、もう一方の官製巨頭の海野義雄(1936-)との対比で、現在のNHKは小沢征爾支持の立場につくという表明だと思っていた。


1959年にN響コンマスに就任した海野は、1962年にマスコミの寵児小沢征爾にノーを突き付けた。楽壇に人気者は二人いらないよね、と小沢征爾を排斥した。日本から活動の場を失った。日本で食えない以上は外国で食うしかない。海野が正統で小沢は異端だった。外国で仕事する小沢がアナザーストーリーだった。


小沢は最初から異端だった。小学校六年生で山田一雄からベートーベンの交響曲のアナリーゼの個人講義を受けていた山本直純がいた。しかし斎藤秀雄は偉かった。そんな天才教育を受けても、未だに才能があるのかないのか不明と評価した。その点小沢は最初から才能ありとした。久山恵子は才能があるようになった。そこで再び山本直純を尋ねれば、才能有や無しやで、分からない。この人には日本の尺度がないのだ。山本直純と比較すると小沢征爾は萎縮する他なかったのが、日本脱出の最大原因である。小沢は山本を越えられない。知識の上で越せなかった。10年先に山本がいた。斎藤秀雄はそういう価値基準を全然評価しなかった。没後の恩情を感じるのはそこなのだろう。


「おれここにいたら指揮者になれないから、芸大を受け直すわ」と現田茂夫に言われて、広上淳一は暗澹たる思いになった。芸大に合格する知識がない広上は、ここで指揮者になるほかなかった。この覚悟とアシュケナージとの出会いは、芸大では望めなかった運命の分かれ道だ。現田茂夫は芸大を卒業して確かに指揮者で飯を食えるようになった。石潰しかよと思った広上淳一はそこで何かが弾けた。その割れ目から出て来たオーラをアシュケナージは認めたのだ。


1981年海野は芸大で弟子に贋ガダニーニを売り付けてガダニーニ事件を起こし、楽壇から追放された。海野のアナザーストーリーになった。外国で仕事するしかなくなったが、仕事は無かった。一方小沢はボストン交響楽団やウィーン・フィルで活躍し、世界の頂点に上り詰めた。日本から追放した海野は世界から追放され、追放された小沢は世界の主になっていた。こういうライバル相剋物語であったはずである。


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ブルックナー7番では小沢征爾はいい仕事してますね。SKO2003年とベルリン・フィルの1988年の演奏がいずれも最高だった。


第一楽章。
121-122小節の金管で、小沢はかなり陰影の強いラレンタンドを掛けていた。
そのラレンタンドがマタチッチ指揮チェコ・フィルの演奏と同じなのに驚く。最後の2つの音符も極端な程テンポが落とされ、オーソドックスな演奏になっていた。小沢はこんな芸当が出来るのだという驚きだ。世界標準でもマエストロだ。


第三楽章。
ここでは僅かな間ではあったが、小沢の独自の解釈があった。テンポの落ちの心理的錯覚を披露したのだ。
65-67小節の金管で、テンポを落とす代わりにダイナミクスをpp・mf・ffにして演奏すると心理的錯覚でテンポが落ちた効果を出すのだが、それをやっていた。これを聞いた時は小沢の解釈の巧みさに敬服したものだ。


ところが2006年、若杉弘指揮東京都交響楽団が、この箇所で小沢と同じことをした。つまり3年後の演奏となる。小沢征爾が3年早いということになる。


まもなくしてクレンペラー指揮ケルン放送交響楽団の演奏でも、全く同じ演奏をしていた。こうなるとオリジナリティーとしてはクレンペラーに落ち着くことになるのだった。


第四楽章。
コーダで伝統的解釈でテンポを落とす所で、小沢征爾も伝統的解釈に従っていた。
312小節後半から314小節で、青鉛筆がクナッパーツブッシュ指揮ケルン放送交響交響楽団1963年の演奏なのだが、小沢征爾はベルリン・フィル1998年・SKO2003年の演奏で、まったくクナッパーツブッシュの演奏を踏襲していた。オーソドックスに鎮座した感がある。


どうりでブルックナー7番も数ある名盤の中に小沢が地位を占める理由があるのだ。こういう日本人は稀なのであろう。