続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

続ウクライナ危機を音楽で考える。

映画『スターリン狂騒曲』の冒頭に、ピアノ協奏曲の演奏会が出てくる。これは半ば実際の史実で、実際にこういう光景があったのである。この光景の演奏の録音が実際にあり、CDとして聞ける。この女流ピアニストはモスクワ音楽院でショスタコービッチと同級生で、このエピソードが『ショスタコービッチ回想録』に出てくる。
背中のピアニストはロシア最大の女流ピアニストのマリア・ユーディナ(1899-1970)で、指揮者は伝説的な指揮者ガウク(1893-1963)である。オーケストラはモスクワ放送交響楽団。演目はモーツアルトのピアノ協奏曲23番である。


映画では放送中にスターリンから電話があり、今放送しているモーツアルトのレコードを持って来いと命令される。スターリンはこのレコードを聞きながら、粛清の人物選考をしているが、突然病死する。スターリン(1878-1953)が急死するのは1953年だから、1953年の出来事となる。これがフィクションである。


モーツアルト・ピアノ協奏曲23番ユーディナ・ガウク指揮モスクワ放送交響楽団(1943年録音。)ユーチューブで聞ける。このエピソードは録音年代から1943年の出来事が判明するのである。


『ショスタコービッチ回想録』によれば、話は違っていて、生放送で一回限りの演奏であった。今ウクライナ危機で、プーチンは幹部から情報を正しく聞いていないので、誤った判断をしていると言われている。この時も電話を受けた人物が、正直に言えば問題がなかったのだが、今のプーチンも昔のスターリンも有無を言わせない強圧的な人物であった。イエスマンの悲劇が起こる。スターリンを忖度して、今放送したレコードをクレムリンに届けると言ってしまうのだ。


さて、生放送で消えてしまうラジオ放送を、どうすればいい。真夜中にラジオ局にユーディナ、ガウク、楽団員が呼ばれた。たった一枚のレコードの製作のために録音される。多分一発取りの真剣勝負の演奏が開始する。そしてスターリンに届けられる。ロシアの喜劇が語られる。


世の中捨てたものではない。スターリン一人のために作られたたった一枚のレコードと思われたこの録音は、録音原盤が残されていたのだ。そして今それが聞けるのだ。


多分こんな下らない理由で真夜中強制的に集合させられたやらされる演奏はユーディナにとって不本意な演奏だろう。第三楽章のやたらめっぽう速い演奏は、こんな苦痛労働から解放されたい馬鹿馬鹿しいスターリン以外は奴隷である国家の奴隷苦役以外に違いない不満の表明であるが、出て来た演奏はあにはからんや世界最高の名演となった。なんたる皮肉か。


「23番はユーディナが弾いているので、もうこれ以上には弾けない」(リヒテル)


なるほどリヒテルには23番の録音はないのだ。リヒテルお墨付きの名演なのだ。第三楽章の疾走するモーツアルト、328小節の突然のラレンタンド(テンポを落とす)は演奏の肝だろう。トリフォノフが同じことをしている。


スターリンが唯一のやった善はユーディナに23番を演奏させたことだ。これは世界遺産だ。


エカテリーナ女帝、スターリン、プーチンとロシア人の体質は変わらない。一人の絶対命令と誤りでも服従する気質である。ポチョムキン村を訪れたエカテリーナ女帝は西欧化した姿を見て満足した。わざと作って見せた。この悪弊の奇跡的救いがユーディナのモーツアルトの演奏である。ウクライナ危機にユーディナの奇跡的名演をお聞きあれ。


付記。あの映画でユーディナ役が演奏しているピアノに、ベッヒシュタインの名前が映っていました。ユーディナの愛用するピアノはベッヒシュタインなのでしょうね。世界三大名器の1つですね。そういうところが映画の楽しみの一つです。