続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

1西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』

西村賢太は最初田中英光に熱中していたが、その偏愛を息子の田中光二に拒否されて、もうこれ以上のめり込むことが出来なくなって、藤沢清造に乗り換えた。そんな艶めかしい前歴はあるのだが、孤高の作家藤沢清造では、思い存分に偏愛を傾注することが出来た。


ここまでは教祖と信者の関係だった。小説家になって見ると、田中や藤沢といった教祖を遥かに超えてしまって、信者としての立場が動揺した。マイナーポエティツク(群小作家)に対してメジャーポエティック(大作家)になってしまった。つまり偶像破壊が起こった。藤沢清造の全集や伝記の出版に、何の意義があるか。大学生になって数年、高校の学生服を着てみると、体が収まらない。太った訳でもないのに、やけに服が小さい。学生服などは子供服なのだ。田中英光や藤沢清造の文学が急に色あせて見えた。何で彼らの小説を熱烈に読んでいたのかが、理解出来ない。もう自分は学生服といった子供服に収まらない大人になってしまったのだ。田中や藤沢は子供の文学だったのだな。実作者として成長してみた西村は、自分が田中や藤沢の服(文学)に甘んじていたことが信じられなくなった。藤沢清造の全集と伝記の中断の理由はそういうことだろう。もう古着は不要になった。


編集者の求めに応じて小説を書き、その作業を完了することで、一段一段の階段を登る。はるか先に見上げていた田中や藤沢の定位置を自分が越してしまっていた。十年200冊の創作は成長をもたらしたが、自分の中に神の死をもたらした。自分が教祖になってしまった。はからずも信者でいた安心立命の境地を喪失していたのだ。多分西村は教祖になる意志はなかっただろう。信者でいられる心地よさがあった。この由々しき逸楽の境地があった。藤沢教を信じて疑わなかった逸楽があった。


その偏愛振りの異常性は「墓前生活」でたっぷり伺える。縁も所縁もないない愛好家が、能登半島七尾市の藤沢清造の菩提寺西光寺に現れて、今は忘れられた小説家を顕彰することで、周囲の人間をかき回すのである。


祥月命日といって、命日は一年に一回だが、毎月の没日に参拝供養する。藤沢清造の熱心な文学フアンの人が東京から訪問する。もうこれ自体が異常である。


西村賢太は半袖シャツをトレードマークに、一見着たきり雀の様相で活動していた。それは一応プロの小説家として認められた以降の特異な様子である。それ以前はサラリーマン風の背広にチョッキまで着た正装姿で行動していた。そうしないと胡散臭さを払拭出来なかったからだ。世間の俗見に対抗する意味合いがあった。「墓前生活」の西村賢太は、背広姿だったはずである。おまけにアタッシュケースまで持ち歩いていたかも知りない。


多分西村賢太が半袖シャツ姿で寺に現れたら、対応も違っていたのであろう。無頼派の小説家西村賢太にも、そんな気の小さい配慮が効いていた。


藤沢清造の墓は最初木製であった。木製の墓標が腐食して、出入りの石屋が墓石を置いた。腐食した墓票の残欠が近くのお堂の縁の下に放置されていた。それに気づいた主人公はそれが欲しくなった。寺の住職は廃棄したわけでもなく、何十年野ざらしにしている。かといってゴミとしてくれるでもない。その心理的葛藤が小説のテーマになっている。最後に無料譲渡されるが、運送費に23万円かかった。アパートの一室に飾って、入室者は「でっけい位牌だな」と感嘆する。テレビ局が録画に来るが、異様な陳列品に御棺ですかと驚いた。


これはこれで簡潔な名品である。その次に「どうで死ぬ身の一踊り」が書かれる。ここで西村賢太は思案する。受け狙いである。


「墓前生活」+痴情小説のアイデアである。自然主義文学はおしなべて痴情小説である。男女の痴情がなければ少しも面白くない。ここに小説家西村賢太が誕生する。


北町貫多と恋人秋恵の登場である。単純に恋人登場では少しも面白くない。北町貫多の女性にたいする暴力性である。意外に家庭では夫の妻にたいする暴力は淘汰されなかった。学歴が低ければ低いほど家庭内暴力は日常支配した。違うのは昔のように女性が耐えたのに、耐えないことだ。今の男女は対等なバトルを繰り返して現代風味が出る。


北町貫多は私大卒の女性を恋人にしたが、現実の西村賢太は一度も恋人は出来なかったのではないか。もっぱら性風俗で処理していたのであって、恋人の描写にぎこちなさがある。


恋人秋恵が「墓前生活」を清書して小説を褒めてくれた。これで北町貫多はいい気になり小説を書き始める。結構文学を理解する。今時の私大卒の女性はそんなことはしまい。これは丸で西村賢太の創作だろう。


秋恵の実家から300万円の借金をする。これなども西村賢太が今時の女性を知らない所業だろう。結婚詐欺にかかる女性は打算があるからで、北町貫多には女性が引っ掛かる打算を持っていない。ペテン師は女性への暴力はないのだろう。おしなべて女性の扱いが不慣れである。


そこから、父の性的犯罪、姉や母の不仲も創作ではないかと思う。露悪趣味である。これは壺を心得ている。低きに置かなければ読者の共感を得ない。


去年の2月5日、西村賢太は急死した。その一周忌が到来する。かつては崇めていた藤沢清造の文学を拠り所にして生きていた青年は、神を否定し自分が新しい神になってみて、その大きな喪失感を味わってしまったのだろう。藤沢教の信者でいた方がいかに楽しく充実した生活であったか。それを失ってみて、失ったものがどれほど大きな損失であったことか。


多様性とは、信者は信者の立場にあって、決して教祖の神域に踏み込んではならないという禁令を尊重することなのであろう。アルバイトをして今日も藤沢清造の文献を求め、古書店に足げく通う西村賢太は健在であり、無名で低きに流れる低俗の生活の中に、かけがいのない充実という密事を温存していたのであろう。「墓前生活」と「どうで死ぬ身の一踊り」には、真つ二つの西村賢太がいる。どうで死ぬ身なのだから、有名になって死にたいという一踊りが作家生活十年の活動であった。有名作家になれなかった藤沢清造の気持ちを西村賢太が身代わりで一踊りしたのだろうか。


小川栄太郎は『作家の値うち』で西村賢太を取り上げている。暴力を振るわれる母や同棲相手の女、非常識な振る舞いに翻弄される友人や編集者に対して、作者と擬される主人公はあくまでもふてぶてしい。・・・しかし同居する女への執拗な暴力は私小説伝統にはなかったものだ。自己の悪を赤裸々に描くことが一種の免罪符になっていないかどうか、もしそうした構造があれば、むしろこれは葛西善三、嘉村磯多、宇野浩二、近松秋江から坂口安吾らの厳しいピューリタニズムと正反対のものになる。


小川栄太郎は西村の小説があたかも現実の反映と錯覚しての批評である。現実の西村は女の指に一本も触れられない奥手なのだ。(それでいて性風俗通いも甚だしい。)朝吹真理子との対話を御覧あれ。西村は朝吹に完全に惚れている。美女と野獣の取り合わせで、朝吹も野獣西村に興味ありげである。惚れているが故に禁欲になるのだ。大鶴義丹に高貴なお方はHしかないという名言がある。小川栄太郎が言うような男だったら、西村はそうしたのであろう。しかし性は風俗で処理するモラリストであった。というか現実では女に持てなかった。


実際の西村賢太は女気など一つもなくただひたすら文献収集に明け暮れた「墓前生活」の西村賢太であった。それに痴情小説を加味した如何にも私小説文学のひだを付けた創作が「どうで死ぬ身の一踊り」であった。はたしてこの仮説はどうであろうか。


かつてNHK教育テレビで、鎌倉の海岸で詩人田村隆一のインタービューが放送された。「これから恋人に会いに行くので、失礼」といって消えて行った。妻帯者であった。凄い人物だと呆れた。後日愛人と再婚したのは言うまでもない。