続パスカルの葦笛のブログ

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生誕百年ワルベルク指揮NHK交響楽団のブラームス3番

ハインツ・ワルベルク(1923-2004)は今年生誕百年の記念年である。忘れる者は日々疎しというが、ドイツでも日本でもほぼ忘れかけているといっていいだろう。


調べてみたら、没年の2004年2月28日にN響を指揮し、9月29日に81歳で没した。1966年に初来日したプログラムと同じものを指揮したという。2001年の来日が事実上の最後で、次の注文が来る前に死んでいるだろうと、死期をさとったワルベルクが最後の来日を果たしたいと願望したものらしい。


彼の感情が死ぬ前に来日して愛する聴衆と楽団を指揮したい。そういう感情の起伏は理解出来ないものではない。初来日以来日本にいい感情を持ち続けていたわけである。そんなセンチメンタル・ジャーニーに付き合う理由はないわけであるが、理解できるのが日本人の良さ。


物凄く嫌な男で、落ち目になって、ぜひ指揮したいと申し出て各楽団から拒否されたケーゲルがいる。今こそ逆襲する時だとばかり石を投げられる。身から出た錆だ。


日本、いいですね。そんな日本人、大好きです。


というわけで、選んだのが、ワルベルク指揮NHK交響楽団の演奏で、ブラームスの交響曲3番、2001・5・12の演奏です。この曲は馬糞の川流れよろしく、最後に次第に跡形もなく消え行くのが最大の欠点です。そこをワルベルクとクレンペラーは補てんして編曲している。クレンペラーではフィルハーモニア管弦楽団で弾いていた女性のチェリストが、最上の演奏で終わったと回想している。


ワルベルクはN響では1968年、2001年の2回指揮しているわけだが、2001年が圧倒的な名演であった。ド素人と天才の差、これで巨匠に到達したといって過言でない。クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーの名演に肉薄したものだが、それに見合った評価がなされなかったのは残念。ドイツでも日本でも無視されたかたちであった。とかく軽音楽の名手とされ歓呼されたワルベルクだったが、面目一新があったのだ。


第四楽章。
クナには8種類の演奏が残されているが、いずれも名演で、この演奏を現代に甦させたのがワルベルクだった。N響の聴衆はそれに立ち会えたわけで、貴重な体験をした。


46小節のホルンのコラールに入る前のヴァイオリンの刻みは44-45小節でワルベルクはffの頂点に到達させていたのが印象的であった。


74小節からの提示部のクライマックスに至る前で、クナ指揮BPO1950年は大胆なリテヌートを掛けてテンポを極端に落とすのだが、ワルベルク指揮N響が踏襲したのには驚かられた。


これがワルベルク指揮N響の演奏で最初に驚かされる所だ。クナの至芸をリアルに聞かされたわけである。その後わずか11小節後、85小節で弦の二分音符をこれまたワルベルクはデフォルメするのだった。


149-150小節の2つのアタッカをクナは又してもリテヌートでテンポを落とすが、ワルベルクは無視した。168-169小節のクナのデフォルメも無視だ。


186-187小節の第一ヴァイオリンで、ワルベルクは弦のスタッカートを最大限に強調する。


このワルベルク指揮N響の演奏は破格であった。


最大の見せ場、聞き所は216-217小節であった。


ここでクナやフルトヴェングラーは、テインパニを2打加筆するのであったが、どうもワルベルクも踏襲していたようだ。ここに至ってN響の聴衆は世紀の巨匠の伝説的な演奏の『よすが』を味わったわけだ。何ともラッキーで奇特な経験をしたものだ、と嫉妬に駆られる。「うらやまし過ぎる」のだ。現場で耳で聴けなかったのが悔しいほど。


1975年以降毎年のように来日しては、軽音楽の名手の半面で、ブルックナー指揮者の足跡を残した。2004年2月21日デュースブルグでブルックナーの5番を指揮して、2月28日に来日して軽音楽で締めくくったが、ブルックナーの5番を忘れた。まあCDで聴けるので許せるか。